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艨艟ノ棲処 BLOG(続)

もうどうのすみかBLOG版(続)。ハヤブサとKDXで暮らす日々の綴方。 それから蟲と飛行機と

   

鶉野飛行場跡と紫電改

2020年8月16日

先の大戦中、現在の兵庫県加西市鶉野町に姫路海軍航空隊が置かれた。
元々は、それまで水上機メーカーであった川西航空機(現在の新明和工業)が、陸上機の製造を始めるにあたり造成を始めた滑走路であるが、それを帝国海軍が利用したのである。鶉野、としたのは川西航空機が同じ兵庫県神戸市(現)に工場を持つため、近隣で適切な場所を探した結果だろう。

川西航空機はここで局地戦闘機紫電、及び紫電改の生産を行うのだが、一方で海軍は艦上攻撃機の訓練部隊を置いた。昭和18年頃のことであり、おりしも搭乗員の不足により練習生が大量に採用された時代である。

経緯はそういったことであるが、結果として、鶉野地区には滑走路跡に加えて付帯する施設が遺構として残った。加西市は、それらを観光、と言っては語弊があるが、とりもなおさず地域の活性化のために利用しようとし、それなりの予算を組んで遺構を整備し、加えてこの地で生産された紫電改の実大模型まで作ってしまった。今回の旅は、それらの見学の旅である。

そもそも、紫電改の実大模型が公開されたのは1年ほど前である。行く気になれば何とか日帰りの距離だが、せっかくなので実大模型だけではなく周辺の遺構もゆっくり見学したい。それに公開日は第一及び第三日曜日と限られているので、何だかんだで延び延びになっていたのである。

鶉野見学の起点は、北条鉄道法華口駅。お供はスイフトである。北条鉄道は小野市の粟生と加西市の北条町を結ぶ第三セクターである。ミニ三重塔は、近隣の国宝の模造品らしい。


ルートは、ここを起点に北条町駅まで概ね北上。各々の遺構の位置の詳細は、加西市の観光案内を参照。

最初にやってきたのは倉庫わきの弾薬庫。解説板は爆弾庫、となっているが、弾薬庫の方がよいと思う。入り口には鉄柵があり、中には入れない。意外とこじんまりとしているので、格納されていたのは機銃弾、小銃、小銃弾程度の大きさのものかもしれない。800kg(海軍では80番といった)爆弾はそう数が入らないし、魚雷に至ってはもっと怪しい。もっとも、少量ずつ分散していたのかもしれないが。


駅から航空隊正門へ向かう道は右手が高くなっていて、所々に防空壕が口を開けている。駅から隊へ帰る途中、退避の必要が生じたときに使ったのだそうだ。素掘りのものとコンクリート製のものが混在している。


航空隊正門へ向かう道はこのように整備されている。スイフトの右側が高くなった土手で、防空壕が口を開けているところだ。左手は崖。


航空隊の正門、門柱と衛兵詰所。もちろん全て復元。少し躊躇したが、どうやらこのまま車で抜けてもかまわないらしい。


正門の位置から東側を望む。もとは隊舎などがあった位置だと思う。今は神戸大学農学部の実験農場になっている。建物がないので、平坦な土地であることがよくわかる。


ちょっとだけ離れた、池のふちにある対空機銃座跡。解説板からここにあったのは25mm連装機銃、とあるので制式名称「九六式二十五粍機銃」があったのだろう。鶉野の戦跡全般に言えることだが、紫電改関連を除き、少し調べればわかることに対しても非常に考証が甘い。


巨大防空壕、と銘打った地下式の発電機室。中の見学は事前予約制。もちろん予約はしていないので、外から見るだけ。


防空壕を一つ過ぎた後、民家の前にある地下戦闘指揮所跡。ここも中の見学は事前予約制で、しっかり施錠してあった。


さて、そろそろ滑走路跡へ向かう。
鶉野飛行場は、googleマップで見る限り40°-220°方向を向いている。滑走路跡そのものは北端の紫電改倉庫を除いて立ち入り禁止、西側に滑走路に沿った長い直線道路があり、その中ほどに記念碑があった。


そしてこれが滑走路跡北端の紫電改倉庫。紫電改がここから出てくるのは第一及び第三日曜日のみなのである。


冒頭で紫電改を製造した川西航空機は元々水上機メーカーだったと書いたが、紫電改も元をただせば川西が設計した水上戦闘機強風である。大雑把に言うと、水上機である強風からフロートを取り去り脚を追加し、エンジンを1500馬力級の火星から2000馬力級の誉へ換装して紫電という戦闘機を作り上げた。その紫電から、主翼を低翼(強風/紫電は中翼)とし、細部の設計を見直したのが紫電「改」(紫電二一型)である。終戦までに数百機が生産され、最も(そして唯一)有名なのは四国の松山基地に展開した343航空隊である。実大模型は、343航空隊の戦闘第301飛行隊を再現している。それにしてもよくできていると思うし、さすがは2000馬力級の戦闘機である。靖国神社にもある零戦とは、迫力が違う。


滑走路跡を離れて、紫電改倉庫の東隣には鶉野飛行場資料館がある。内部は撮影禁止なので写真は無い。展示は鶉野飛行場にまつわる雑多な細かい物だったが、ボランティアの方々が熱い解説を聞かせてくれた。


資料館を離れて北条町駅へ向かう途中にあった対空砲陣地跡。展示してあるのは九六式二十五粍対空機銃の三連装、勿論レプリカである。


対空砲陣地跡の手前に展示してあったSNJ。戦後、海上自衛隊で練習機として使われていたもので、鶉野飛行場とは縁も縁も無い。塗装だけは、旧海軍に似せて塗ってある。


次は最後の目的地、北条町駅前のアスティアかさいへ向かう。アスティアかさいには加西市のスペースもあり、そこで紫電改のコックピットを展示しているのである(勿論レプリカ)。この日はプレスリリースの日であったようで、予定時刻よりしばし待たされた後、入場。コックピットは、しばらくここで展示された後、機体と同じ紫電改倉庫での展示となるようだ。
コックピット右側の切り欠きは、実物にはない。計器盤をよく見えるようにするためか、座席に入りやすくするためかに設けられた切り欠きだろう。この部分も別体できちんと作ってあった。


さて、これで鶉野飛行場跡と紫電改にまつわる旅は終りである。全体的に事前予約が無いと見学できない、考証の甘い部分があると思われるものの、紫電改自体はよくできている。可能なら、本機の実大模型のコックピットに海軍搭乗員のコスプレで座りたいくらいだ(できるらしいが)。以前、長野松代の大本営跡(地下壕。実際には使われなかったが)へ行ったとき、ボランティアの解説員が史跡とは関係のない話を延々と(恐らく元教員と思われる、で内容は察して欲しい。また、壕の入り口には何故か大きく朝鮮人工員の碑がある)していたのに比べると、そのような所が無い点が好ましく思えた。(史跡は史跡、史実は史実だ。そこに思想は関係ない)
2022年春には、この地で練習機として使用されていた九七式艦上攻撃機の実大模型も展示するらしい。紫電改の仕上がりを見ていると、今から再訪が楽しみで仕方がない。


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